Vol.46 2011.02.10
発行/編集 全国商工会連合会
http://www.shokokai.or.jp/

「小さな店の壮大な気宇が、今輝きを放つ」/前編

有限会社ゲンベイ商店 五代目 中島 広行

 家族経営の店が生み出すこだわりの商品に、海外ブランドを含めた多くの企業が熱い視線を送る。海辺の町の小さな店をビーチサンダル専門店へと鮮やかに転換させた5代目経営者は、行動力と人と人との結びつきで新しい地平を広げてきた。今回はぶれない心で挑み続ける、人情と心意気、そして遊び心あふれるプライスレスメッセージ。その前編です。

 

−御社はビーチサンダルの専門店と伺っています。ビーチサンダルというと多くの人にとっては身近なものであると同時に、実はあまりよく知らないというのがあるのではないかと思います。最初に事業の概要と沿革も含めてご説明ください。

葉山にこだわるビーチサンダル専門店

 事業は神奈川県の葉山町に3店舗、それぞれ家族でやっています。私が1店舗、義理の父親が1店舗、義理の母親が1店舗ですね。もともとはこの葉山の3店舗が始まりで、12,3年たつのですが、結婚してここに入り、この店を任されたときに何をやってもいいといわれて、ビーチサンダルを事業の中心にしてしまったということですね(笑)。
 もともとはこの葉山の3店舗の店売りだけだったのですけれども、今はビーチサンダルを作り、卸し、他の企業とのコラボもやりますし、OEMもてがける、それから店売り以外に通販で売ったり、あるいは海外でもということで、ずいぶんで広がってきましたが、商売の柱としてはビーチサンダル、それと葉山でしか買えないようなグッズになります。
 こうしたグッズの売り上げに占める比重はかなり大きくなっていまして、例えばTシャツなど年間で何万枚も出ます。ですから、他でも売ってくれというような話もあるんですが、やっぱりお店を知らないで買ってもらうというのも嫌なものですから、こだわりをもってすべて断っています。もちろん自社の通販にも載せていないですし、私のブログでもあまりそれについては触れないようにしています。

−あくまでお店に来ていただいてということですね。

 そうですね。ただブームになって、例えばロゴが面白いから買われるというのも嫌で、やっぱりどういうところの、どういう店のものなのか、知ってもらいたい。そのために葉山に来てもらいたいということですね。

−ビーチサンダルが主力になる前はどんな感じだったのですか。

 品揃えというのは何にも変わってないんですけれど、もともとは万屋さんみたいな形だったんです。ビーチサンダルも、昔からギッシリと所狭しとばかりに並べていたんです。ただし以前は知る人ぞ知るという感じだったんですね。
 今ではビーチサンダルだけがだんだんとクローズアップされるようになってきたんですが、じつは店の中や外観などは何も変わっていないんです。

昔とかわらない「げんべい」のお店

サラリーマンから転身するも、苦難の連続

−ご結婚されてお店に入られたということですが、その前は、何をされていたんですか。

 サラリーマンです(笑)。親もそうですし、兄弟も上と下にいるんですが、皆サラリーマンです。親戚にも商売している人間はいないですね(笑)。建設会社の営業でしたから、当時はビーチサンダルはもちろん商売のイロハも知らなかった。もちろん今でもよくわかっているわけではありませんが(笑)。

−そうするとお店を継ぐきっかけというのは何だったのですか。

 カミサンがこの家の長女だったんです。結婚してからもサラリーマンをやっていたんですけれど、結局サラリーマンというのは、上に抑えられて下に突き上げられてということで(笑)、相当なストレスを感じていた時に、外から見ると自営業というのは、言葉は悪いですけれど気楽なものに見えますから(笑)、しかも家からも近いということで「なんかいいな」と思って、押しかけるような形で手伝わせてくれ、もうサラリーマンは嫌だと(笑)。
 実際にはいまさらなんですけれど、カミサンにはあれが不幸の始まりだ、こんなに苦労するとは思わなかったと言っていますよ(笑)。

−ここまで至るまでにご苦労も多かったわけですね。

 最初は惨憺たるものだったですね。僕は、大学は関東学院でラグビー部だったんですけれど、ちょうどその頃、関東学院は春口監督のもとで、全国大会で優勝、また優勝ということで、OBはみんな応援に行くんですけれど、僕は顔を合わせて、今何やっているんだと聞かれるのが嫌で行けなかった。
 監督にも卒業以来、年末に初めて挨拶に行ったら、うちの店のことを知ってくれていて「そうか。頑張っているんだな」と言ってくれました。「本当に顔を出せなくてすいません」みたいな形でしたね。
 やっぱり一旗揚げるじゃないですけれど、結果を出していないうちは表に出たくなかったですね。実際、サラリーマンを3年ほどやって、25歳ぐらいからお店を手伝い始めましたが、うまくいくようになってきたのは30歳を過ぎた頃からですね。5年くらいは何をやってもうまくいかなかったです。

−ちなみにその5年間にはいろいろなことをやられたわけですね。

 いろいろ悩みました。それこそ、本屋でとうふ屋さんを取り上げた本を見て、「何だとうふ屋をやれば儲かるのか」と単純にそう思ってしまうほどでしたね(笑)。
 今だけ見られてしまうと成功する要素がたくさんあるじゃないかといわれるんですけれど、当時はとてもこうなるとは思わなかったし、ビーサンだけで商売が成り立つとも思えなかったし、そもそもビーチサンダルが日本で作られて世に出て、50~60年たちますけれどこれまでは誰もビーチサンダルだけでやっていこうという人はいなかったわけですから、そういった中では思い切ったことをしたなと思いますね。

ビーチサンダルの存在を再確認、専門店へ

−確かにそれは結果論ですよね。そうすると何時頃からビーチサンダルで行こうと決めたんですか。

 最初のうちは、それこそ正月も休まず、一年中、ずっと店を開けてやっていまして、そうするとお客さんがうちの店にいつ何を買いに来るかということが分かってくるんですね。ほとんどが夏で、ビーチサンダルを買いに来るんです。昔からビーチサンダルを買いにくるお客さんがいて、中には親子2代にわたるお客さんもいるほどなんです。だったら他にはないんじゃないかと思ったわけですね。ただし、世間一般では誰もうちのビーチサンダルを知らないわけですから、どうせ売れないんだったらという開き直りもあって、ビーサンを専門に売り始めたわけです。

店狭しと並べられたビーチサンダル

−すでにその頃、御社のビーチサンダルというのは、種類も豊富で、品質の高いものだったということですね。

 そうなんですが、知る人ぞ知るで、要は誰も知らなかったわけです(笑)。地元の人と海水浴に来る人が買っていくという雰囲気だったのですが、地元の人もちょっとしたものはもっとおしゃれなお店でというような感じがありましたね。今はむしろ、デパートから来た話を断ることのほうが多いのですが、当時実際に「私はデパートみたいなところじゃないと買い物はしないのよ」なんてお客さんに言われたこともありましたからね(笑)。

−やはりビーチサンダルだけだと、夏以外はどうするのかといった不安はありませんでしたか。

 実はビーチサンダルに特化したら、夏により売れるようになったんです。それで何とか冬も食べていけるようになったんです。しかも夏に増えるだけかと思ったら、秋口、9月、10月になるとアパレルの来年に向けての展示会が始まるんですけれど、そこでのコラボとしてビーチサンダルの話が来るようになったんです。アパレルさんにとっては、夏が終わったらすぐに来年の夏の動きになるわけで、そうすると秋口にはこんな仕事があるんだなという発見があるわけです。
 それから年明けのこの頃ですと、沖縄では、もうすぐプロ野球のキャンプインです。これに合わせて沖縄県のアンテナショップである「わしたショップ」の本店と那覇空港店の方から、今からもうビーサンおきたいという話が来ているんです。ここでもビーサンが、実は1月から売れるわけです。
 そんな感じでやりはじめるとシーズンというのがあまり関係なくなってきて、思いもしなかった話が来たりするんです。僕自身もやる前は夏しか売れないと決めつけていたわけですが、いざふたを開けてみるといろんな話が来て、本当にやってみないとわからないですね。

やってみて景色が変わり、少しずつ状況が変化

−ビーチサンダルに特化するために具体的には何をされたのですか。

 一つのきっかけは2001年にホームページを作ったことですね。作った時に載せるものと言ったらやっぱりビーチサンダルしかなくて、だったらおもいきってビーチサンダル専門店にしようと、そこで初めて「ビーチサンダル専門店」ということをうたって、同時に「○げ」(まるげ)のロゴも作ったんです。色とサイズにこれだけの品揃えがあるビーチサンダル専門店というのは当時もありませんでしたから、その後は、ビーチサンダルと専門店で葉山にこだわっている珍しい店があるということで、取材がきたりして、少しずつですが情況が変わり始めたんです。

まるげ・ロゴマーク

−ちなみに品揃えが豊富だということですが何種類くらいあるんですか。

 色とサイズと鼻緒の組み合わせが自由に選べるんですが、色の組み合わせが100パターン、サイズが12サイズありますからこれだけで単純に1200パターンありますね。

−凄い数ですね。そうしたことも前面に出しながら、5年間で周囲も店も少しずつ、状況が変わっていったということですね。

 元手がないものですから少しずつ変えていったんです。ですから今もまだ完成形ではないんですが、5年間やり続けて、これでいけるんじゃないかという手ごたえを感じましたね。ただ、5年間やり続けると、人の意見を聞かなくなるんですね(笑)。どうしても結果に対しての意見、アドバイスは多いんですけれど、前例のないことにチャレンジする時には、そうしたものはあまり役に立たないんです。結局決めるのは全部自分ですからね。自分で判断して、失敗したら自分で責任をとるしかないと腹をくくった時から、人の意見を聞かなくなりましたね。
 やっぱり一つのものに特化、集中することですよ。初めのうちうまくいかなかったのは、いろんなことをやろうとしたからなんです。世の中で売れているものがいいのかなという迷いもありました。
 ところが、ビーチサンダルにこだわり、特化してからは状況が少しずつ変わってきて、今では、休日には全国からお客さんが来てくれるようになりました。
 それまでは、葉山というエリアで何を売ろうかと考えていたんですけれど、一つのものにこだわるとそれを買うために全国から来てくれる。商圏というのは関係ないんだなと、それに気がついてから迷わなくなりましたね。

−ビーチサンダルというのは非常にシンプルなものですが、考え方を変えるといろいろとできるわけですか。

 そうですね。ビーチサンダルは50~60年前のものと何も変わっていない。素材も形も変わっていないんですね。これは逆に変えちゃいけないと思うんですよ。このまま素朴、単純でいいと思います。ですから見せ方、切り口という部分ですね。ビーチサンダルを通じてできることで自分でまだ気づいていないことが、たくさんあると思うんですよね。

こだわりを持って、国内で生産

−ところで、現在ビーチサンダルは生産もされているんですよね。

 今、国内のうちが生産をお願いしている工場は、自社工場みたいな存在で、営業はうちがやって、生産は向こうと役割を分担しているんです。 もともとは神戸の長田にあって、ご存知のように長田は履物の産地ですが、震災で連絡がつかなくなっていたんです。
 一方、年々うちもビーチサンダルが売れるようになってきていて、日本のメーカーの海外工場で作ったものを輸入していたんです。ところが海外で作ると納期に2カ月かかったり、年にまとめて1回しか作れないということが起きてきたんです。やっぱり、国内でタイムリーに商品が入らないと厳しいと。そこで昔のツテをたどったりして、やってくれるところを探していたら、震災で連絡が取れなくなっていた工場が別の場所でやっているというのがわかったんです。早速、頼みにいったら最初は「もう作ってないから来るな」と断られまして、それでも押しかけていって(笑)、何回も通ううちに「わかった、もう一回作る」と言ってくれたんです。
 最初のうちはビーチサンダルが日本で商売になるとは思っていなかったので、乗り気じゃなかったようですが、その後、うちも頑張ってだんだん量を増やしてきましたので、今はもう少しでビーチサンダルで食べていけるというところまで来ています。今は3万足弱、食べていけるのは5万足以上ですね。
 日本以外では台湾とフィリピン、後はイレギュラーで中国で作ることもありますね。

−国内で作るとコストは多少割高になりますか。

 そうですね。逆にうちは値段だけでは勝負しないんです。値段だけだとやっぱり体力のあるところが勝つに決まってますからね(笑)。価格競争というのは裏返せば、付加価値がないということですよね。価値があればそれに見合う対価を払ってくれるわけです。例えば「ゲンベイ」のビーチサンダルというのはうちでしか作っていませんから、うちで買いたいという人にとっては1足1000円という値段は決して高くなくし、他社とも競争にならないわけですね。 一方で100円ショップで売っているようなビーチサンダル、これは逆に安ければいいという価格競争だけなんですね。ひと夏だけの間に合わせのものだから安いものでいいという選択肢もあるわけです。

生産風景

−安いビーチサンダルと御社のビーチサンダルの違いはずばりどの辺なんでしようか。

 やっぱり素材だったり、ちょっとした鼻緒の位置だったりですね。ビーサンは台と鼻緒の2パーツしかないんですが、履いてみるとやっぱり履き心地が違うんですね。素材にしてもうちは天然ゴムを使っていますが、安いものだと固くて、痛いし、すぐダメになってしまいますね。
 それとビーチサンダル専門店が、作っているビーチサンダルだから、当然、履き心地もいいし、どこよりも、種類もたくさんありますよというようなことですね。
 しかし一番大事なのはこだわりです。素材や履き心地といったこだわりをお客さんに知ってもらう。実際にそうしたことを外に向けて少しずつ発信して、知ってもらうにつれて、価格競争とは一線を引けるようになりました。
 やっぱりビーチサンダルをどこで買おうかと考えた時に、「やっぱりゲンベイに行ってみよう」といかに思ってもらえるかということですよね。

−ビーチサンダルを夏以外に履く人も増えているようですね。

 はい。これまでは、ビーチサンダルは夏だけのものというイメージで、ひと夏、もてばいいという人も多かったのですが、うちの場合は、3年、4年と十分持ちます。ですから日常のいろいろなシーンで使っていただければということですね。例えば、家でスリッパ代わりに使っていただく。そのためには、履き心地に加えて飽きがこないようなデザインも必要なわけです。ただ、商売的にはできたら1年に1回は買い換えてほしいなと思います(笑)。

他の企業とのコラボで、付加価値を高める

−これだけ評判になると他社さんから真似されるということはないんですか。

 実際、どう見てもお客さんじゃないなという人が結構来ます(笑)。だけどうちはいろいろなことをやって付加価値を高めていますので、なかなかすぐには真似できないと思います。
 その代表的なものが他の企業さんとのコラボですね。おかげさまでうちと組むことに価値を見出してくれる企業さんもずいぶん増えました。ただし、コラボといっても、うちの場合はどことでもというわけではなくて、断ることも結構あるんです。一つには正直コラボというのは、採算が厳しいことが多いので、ある意味宣伝ということで割り切らざるを得ないんですね。ですから昨年は100社くらいとやりましたが、数的には頭打ちですね。

−少しずつ知名度を上げていったということですが、最初のコラボというのはどういった形で始まったのですか。

 「げんべい」の名前がようやく知られ始めた頃に放送作家の小山薫堂さんの番組に呼んでもらったことがあって、その時に小山薫堂さんに「コラボして一緒にビーサン作りたいですね」と言ったら、「ああ、いいですよ」でその時は終わったんです。その「いいですよ」というのがすごく気になっていて、考えてみると、うちを良く知らない、おそらくうちにもそんなに興味を抱いていないとだろうと。相手が興味をもっていない、同じ土俵にないということではコラボにはならないので、だったら薫堂さんはどうしたら振り向いてくれるのかなと。おそらく、自分が同じレベルにならない限り、小山薫堂さんは振り向いてくれない、片思いのままで終わるなと。それがコラボの原点であったりするわけです。
 最初のコラボは、埼玉のナックファイブというFM局が番組のプレゼントとして使ってくれまして、その後がアパレルのビームスさんですね。このビームスさんとのコラボが、ある意味その後のうちのコラボの基準になっています。ビームスさんには、大変感謝しておりまして、今でもビームスさんに迷惑をかけるようなコラボはしないように気をつけています。
 コラボ先が100社ありますからある程度バッティングするのはしかたないにしても、ビームスさんから見て「げんべい、何でこんなところとコラボしているんだよ」というようなところはやめようということですね。

相手のための一生懸命さがコラボを生み出す

−代表的なコラボの例を教えていただけますか。

 僕はスポーツが好きなので、プロ野球球団のビーサンを作りたいと思ったんですが、去年一気に増えて、残すはあと1球団なんです。

ベイスターズ タイガース

−ちなみにやっていないのはどこの球団ですか。

 ジャイアンツです(笑)。ジャイアンツはメインスポンサーがアディダスさんで、独自にビーチサンダルを作ってるんですね。ですからちょっとNGで。
 プロ野球球団で最初に作ったのが横浜ベイスターズで、そうしたらベイスターズの人が阪神タイガースを紹介してくれて、そうしたら次に阪神タイガースの人が勝手に(笑)、楽天とか、中日とか、オリックスに「うち、ゲンベイでビーサン作ったんですけれど、おたくも作りませんか」みたいに営業して紹介してくれたんです。本当に人のつながりですね。ありがたいです。

−やっぱり人のつながりは大きいですか。

 大きいですね。サラリーマンの時には自分の立場しか考えないんですよね。売上目標のためにどこでもいいからとりあえず売る。商品を相手に卸してしまえば、後はそれが売れようが売れまいが自分には関係ないという部分が少なからずあるんですね。
 でも商売をしているとやっぱり卸して売れないと申し訳ない。先日もあるアパレルさんと打ち合わせをしたんですけれど、せっかく作ってくれるんだからということで背伸びして注文を増やそうとするんです。それはそれでありがたいんですが、その時にいくつか事例を挙げて、「このアパレルさんはこんなに頼んでくれたんだけれども、売れ残って次の年、注文が来なかった。うちは少ない数でも作れるから、無理のない範囲でやりましょう。それで来年注文をくれた方がうちもうれしい」といったんです。他にも、今はうちもいろいろ取材を受けてリリースできる先もありますので、そういったところに宣伝をお願いするとか、やっぱり相手のことを思っているといろいろ考えますよね。こうしたことは企業対企業でなくて、個人対個人という人間関係があってはじめてうまくいくわけです。

−無理に売らないということですね。

 時と場合によっては売らないことも正しい選択だと思いますね。例えば通販でお店で扱っているのと同じTシャツやストラップ、これは今結構人気があるんですけれど、そういったものを売れば、売り上げが伸びるのは分かっているのですが、それはしてはいけないのかなと考えています。
 ブランドにしても昔はピコとか、タウンアンドカントリー、ちょっと前ではブーテンのTシャツが流行りましたが、売れると一気に拡大しますが早く飽きられますよね、うちは飽きられたくないし、長く商売したい。一種の遊び心で常にお客さんを「げんべい、こんなことやってんだ」みたいにいい意味でからかっていたいですね。一時期、○げ(まるげ)というロゴを入れたTシャツが年間10万枚くらい売れて、これは葉山の3店舗でだけで売ったんですけれど、それでいいと思うんですよ。そこで無理していろんなところに卸せば、一時は売れるかもしれないが、だめになる時は一気にだめになる。
 そういうところで我慢できるかできないか、次の一手をどうするか。自営業の場合は今年良くても来年どうなるかわからないから、常に安心はできないですよね。でも来年何をやろうかとか、前向きにそういう風にもっていくと、決してプレッシャーにならずに、いいアイデアも出てくる。

☆★☆★ ☆★☆★ 後編につづく ☆★☆★ ☆★☆★