Vol.10 2008.02.12
発行/編集 全国商工会連合会
http://www.shokokai.or.jp/

有限会社 新福青果   代表取締役 新福 秀秋

「新しい農業の形、地域産業体の創出を目指して、我この道をゆく」


継いだ農業を取り巻く現実に驚く

―最初に農業を始めたきっかけからお願いします。

 昭和51年にサラリーマンを経て農業を継いだのですが、「サラリーマンをやめて農業を継ぐ」と言ったら開口一番親父に「お前は馬鹿か」と言われました。
 しかし、最初はそういわれても、息子がせっかく跡を継ぐといっているのになぜ実の親に馬鹿と言われなければならないのかというのがよくわからなかった。それでも親かと。何が言いたかったのかがわかったのは継いでから5年ほどたってからですね。厳しい言葉も実は親の愛情だったのです。「規模が小さくて、苦労するばかりだというのがよくわかっていたから、後を継ぐな、お前には苦労させたくはない」という親心だったのです。そのとおりでしたね。この地域の平均的な農業経営規模が1.8ヘクタール、それでは事業としては成り立たない。生き残っていけないという現実がありました。

−サラリーマン生活に不満があったのですか。

 私は化学専攻で、メーカーの研究所にいました。確実に給料をもらって休みもきちん取れるというサラリーマンが一番良いと思っていましたし、実際に私もその恩恵にあずかっていたわけです。ところが今と状況が似ていますけれども、第一次オイルショックがあって、たとえ大企業のサラリーマンといえでも決して安泰ではないし、やりたいことができるわけではないというサラリーマンの悲哀を目の当たりにしました。サラリーマンも考えていたほど良くはないなとつくづく感じました。だったら農業をやってみたい、それにかけてみようかという気になりました。ただ実際にやり始めたら大変でしたよ。端的に言えば農業には本当に日曜祭日もないからびっくりしたし、周りにこっそり聞いたら、皆、確かに休んだことがないというのですね。親父に給料をくれといったらもっと怒られた(笑)。
 何のために農業しているのかというと、そもそも田畑があって長男だから跡を継いだとか、他に行くところがないから農業をやっているという人がその当時はものすごく多かったのですね。

―意を決して飛び込んだ農業は社長の目にはどのように映ったのですか。

 あらためて給料もなくて休みもなくて人間の選択する職業じゃないと思いましたね(笑)。サラリーマン時代には研究課題やノルマがありましたが、それにくらべると働く環境としては農業というのは気楽でもあったわけですが、反面、労働に関する環境整備は遅れていたわけです。しかも、何もかもがどんぶり勘定なんです。資金的なもの、販売先、技術、私がサラリーマン時代に得たことをどのように農業に入れられるかということがすぐに課題として浮かびました。言葉を変えれば農業の工業化ですね。

―社是、あるいは経営方針みたいなものがあればご披露下さい

 私の長い営業をやっていた経験からつくづく感じているのは市場にあったものを出さないといけないということですね。お客様の喜ぶもの、購入できるものでないとそれはいい製品とはいえないわけです。これは鉄則ですね。つまりいい技術があることが、必ずしもいい製品につながるわけではないということです。いい技術がイコールいい製品ではありません。
 経営者イコール開発者ではないということもいえますね。これはある程度の企業規模、10人くらいでしょうか、になれば当てはまることだと思います。経営者には開発者としての役割より優先順位の高い使命があります。それは従業員とその家族の生活を守るということですね。経営者が自分の開発した商品に愛着を持つあまり全体の経営の舵取りを誤るようなことがあってはならないと考えています。

法人化、農協と決別し生き残りを模索する

―具体的にはどのようにされたのですか

 当時からすでに遊休農地及び耕作放棄地の動きがありましたが、その頃のうちの規模が2.5ヘクタールほどでこのあたりでは中より上くらいの規模でしたが、これでは生き残っていけないと考え規模の拡大をはかりました。幸いにも規模の拡大は順調に行きましたが、規模を拡大していくと事業として環境を整備していく必要性が出てきました。
 それから、銀行員だった家内と結婚して、家内に経理を見てもらって少しずつですが事業として整ってきました。子供も生まれて、そうするとたまには家族で旅行するとか、ドライブ行きたいとか家庭内の目標も出てくるわけですが、まだできないのです(笑)。休みも取れないし、安定した収入もない。そうした状況が10年ほど続いて、人員も10人くらいになりましたので、昭和62年にかねてから考えていた法人化を実現しました。

―農協を通さない営業を始められたのもこの頃ですね。

 はい。この頃に農協から追い出されました(笑)。農協はいいところもありますが弱点は時代の変化に即応して変われないところですね。共同購入、共同販売が原則ですが、当時からすでにそうしたメリットは薄れてきていましたし、そもそも肝心の原価が取れなくなってきていました。そこで企業として原価を確保するために、自由に販売する産直を考えたわけです。産直は、今でこそ一般的になりましたが、この時に自分の住所、名前、電話番号、顔写真を記載して出荷したら農協からお前のところだけ目立ちすぎだと怒られたわけです。
 今でも覚えていますが「機械を買ったら、製品名やら製造地やら製造番号などが入っているじゃないですか。何か問題があったらそれを見てクレームも直接入れるじゃないですか」と反論したのです。そうしたら生意気だと。だったら農協は売るばっかりで責任はもたなくて良いのかと。機械メーカーはねじ一個でも責任を持つのに、農家は何ヘクタールも作るのに責任を持たなくて良いのかと。これでは進歩はないです。ここが今の農協の問題なのですね。いい加減なところには衰退しかないのです。こうしたところを変えなければならないのですよ。

―しかしずいぶん思い切りましたね。

 もうとにかく社内外から、気ちがい扱いされました(笑)。農協からはそういうところには資金も貸せないと融資も断られました。販売も断られました。それに、原価の問題以外にもいろんな面で意見が合わず農協を飛び出したということですね。もし仮にそのまま農協にいて、どっぷりとつかっていれば楽だったのかもしれない。しかし飛び出したことで見えてきたことはたくさんあったわけで、そのまま居続けたら、今、新福青果が目指していこうという方向性は間違いなく見出せなかったと思います。
 いまや、世界を舞台に生き残りをかける産業が多い中、農業は護送船団方式でやってきて、所得を補償するというのは私に言わせれば税金のばらまき政策以外の何者でもないわけです。所得を補償されるということはその一方でキチンと責任と義務を持たなければならないということを農業者は意識しなければならないわけですね。
 別の言い方をすれば、農業が生き残るためには産業化しなければならないということです。具体的には工業的な要素を農業の中に入れることですね。そのためにはまずIT化が必要だと考えました。

農業の産業化はITから始まる

―IT化とは具体的にどのようなものなのですか

 今のシステムは「アン・ポン・タンシステム」といって平成13年から大日本印刷と共同研究したシステムです。ちなみに「アン」は安心・安全を安価に提供、「ポン」は本物・本質を本気で追求、「タン」は簡単に単純化、ということをあらわしています。
 ノート型のパソコンがありまして、これはもともと米軍が使っていたものを改良し、雨にも埃にも振動にも強い頑丈なものなのですが、このパソコンを各担当者が持って耕起から始まり、防除、施肥、潅水、収穫、輸送までの各生産、作業データを現場で入力するわけです。さらに圃場には温度センサーや湿度センサーがありますから、水分量、PH、EC(電気伝導度)などのデータも一緒にサーバーに蓄積されていきます。こうすることにより勘ではなくてデータに基づいた販売計画や利益目標の設定、事業展開が可能になり、リスク回避もある程度できるようになります。
 うちには245箇所の農場があります。これは一つ一つが工場あるいは営業所としてとらえていただければ分かりやすいと思いますが、このシステムには245箇所の農場の統計、数字も入っています。何処がどれだけがんばっているかもすぐに分かるわけです。経営者は一番これが見たい。最終的には245箇所の畑の決算書が出て来ます。畑の決算書が出れば赤字の原因の解析もできるわけです。実は農業ではそういったものをすべて「どんぶり勘定」でやっているわけです。どんぶり勘定でやっていると次の投資は何処にしなければいいのかということがぼやけてくるのですよ。そういう普通の産業では常識としてありえないことが農業で平気で行われているということなのです。
 データは平成7年から13年まではエクセルでそれ以降は現在の形で蓄積されています。 簡単に言えば農業技術をもうすこし簡単、便利に共有でき、必要なデータはサーバ−に蓄積する、なおかつ各人の労務評価、管理までできるシステムをつくりだしたわけです。

現場でパソコンを入力している風景

−労務管理までできるのですか?

 私は農業を普通の産業と一緒だと思っています。組織農業化の中にはそれぞれの役割分担があって、やった人、やらなかった人,やれなかった人をキチンと評価できるシステムが必要なのです。数値化すると客観的に評価もきちんとできるし、担当の人間が急病で休んだときにも、次の工程がいつでもだれでもできるよう工程管理を組むことも可能です。各担当者はポータブルの端末を持っていますから、現場で作業や工程について分からないことがあってもサーバーにアクセスすれは簡単に勤続10年、20年に匹敵するデータが取り出せ、次にどうするかが分かるわけです。もういちいち上司に聞いたり、電話をして事務所で調べてもらうとかいう必要がないわけです。

−IT化をすすめることで消費者ニーズを把握したり、
生産者の顔を見せるということも簡単に出来ますね。

 極端に言えば農業というのは「おらが野菜」、「おらが農業」という狭い視点の中でやってきたわけですね。時代が変わってきて取り残されているのに自分たちがなぜ取り残されるのか気づいていない点もある。そこには経営者としての責任があるわけですが、それを後継者がいないとかマーケットがないと言って責任を転換してしまっている面があります。
 まず自分たちができていないことは何なのか、それを見極めることですね。うちの場合には、私がそれこそ手提げかばんに商品を入れて(笑)、全国を歩き回ったのです。一年半かけて営業しましたがまったく売れず、「値段が高い」とか「形が悪くてこれじゃ売れないよ」、「データがない」といったお叱りの言葉ばかりいただきました。自信はあったのですが、実は消費者のニーズとずれていたのですね。私が自慢するのと消費者が自慢してほしいことが違っていたということです。悔しかったですけどお叱りの言葉をこれからのアイデアとして持って帰りました。その時にはそれをしないと消費者はうちのものを受け入れてくれないと思いましたね。そういった意味では得たものは多かったです。
 農業でも最終的には消費者が選ぶ、消費者に認めてもらわなければ成り立たないという事業の上での課題、宿題を与えられたわけですが、同時にそのニーズに合わせるために中の体制を変えていかなければないという考えがITを使ったシステム「アン・ポン・タンシステム」につながっていきました。それまで経験と勘でやっていたものを数値化して、誰でも分かるようにした。これが最低の情報公開だったということですね。
 ただし、最初は、住所、名前、電話番号は誰でもすぐ出せるけどそれ以上の情報、「新福さんのゴボウはどこが違うの、こだわりはどこなの」と聞かれても答えられなかった。そこで第3者に評価してもらいその結果を添付するという仕組みを作りました。国の有機JAS規格に先駆け平成3年につくりました。
 今は、QRコードを用いてトレーサビリティ(生産履歴)がわかる仕組みを導入しています。所詮事業というのは継続して買ってもらえなければ、成り立たないわけで、そういうリピーターがいてはじめて事業というのは拡大、発展していけるわけですね。そのための情報提供です。

的確な消費者ニーズの把握が新しい商品を生み出す

−このシステムでは生産地情報に加え消費情報も取っているということですが。

はい、うちのお客さんである大手量販店との間で情報をやり取りしています。 これまでは、農業の生産現場と大手量販店との間で情報がつながっていない、互換性がないということが大きな不安要因だったわけです。情報がつながっていないからブランド作りやら消費者ニーズということでミスマッチが起きる。そのためにはシステムを構築して生産地情報を提供する代わりに消費情報をいただくという仕組みを作る必要があったわけです。
 これを簡単にかえる方法はあるにはあるのですよ。自分で売って、自分で聞けばいいわけです。ただそこで得た情報をシステムとして構築することが農業者ではできません。ノウハウもないし余力もない。だから今でも農協や市場を経由してバイヤーが買っていくという形はなかなか変わらないわけです。
 うちの場合も、外部の力を借りて「アン・ポン・タンシステム」というシステムを構築して生産地情報を提供する代わりに消費情報をいただくという仕組みを作りました。見方を変えていえば、もともと、販売者側は、品質やら通年、安定供給に不安や不満を持っているのですね。これに対しての一つの答えが地域の連携で、直営農場や契約栽培を増やし、他の農業法人からも応援をいただくということだった。広域連携した結果どうなったかという情報、農薬、肥料、植え付け、収穫などの状況、それからこれが大事なのですが原価の情報をキチンとお客さんである大手量販店に提供する。原価計算システムを組んで、販売情報と生産情報をお互いに互換性のあるシステムで結ぶ。こうすればお客さんも安心するし、我々も安心できる。生産地の原価を管理して量販店の利益計算も分かるということになるとお互いの利益配分というのが全然違うのですね。お互いのキャッチボールの中で利益を最適な形で分配することも可能になるわけです。このシステムには、現在、国内では9社、海外では香港と台湾が参加しています。

−消費者ニーズを的確につかんで開発した商品があるということですが

定量カットゴボウとミニ野菜ですね。宮崎大学や近くの機械メーカーと協力して裁断機をつくり15年前から裁断したゴボウを出荷しています。
 今から20年以上になりますが、スーパーで家内と買い物をしていた時のことです。私はもちろん荷物運び専門ですが(笑)、当時うちで作っていなかったごぼうを買った家内が長いまっすぐなゴボウを持ちにくいからと手で折って持ち運ぶ姿を見てショックを受けました。それまで、農業現場ではまっすぐな長いゴボウが良いとされていたわけですが、消費者のニーズはそこには入っていなかったのです。この時に受けた衝撃が定量カットゴボウの商品化につながっています。
 ミニ野菜についても発想は同じです。昭和40年代は一家族5人くらいだったと思いますが、平成に入ってからはそれが3人を割っています。ところが家族は半分になったのに大根は半分になってないわけですね。そうするとカット売りが出てくるわけですが、もう少しこれをすすめてカットするくらいだったら最初から小さな野菜を作ったらどうかと思いついたわけです。これが9年前のことでした。いろいろな種苗会社に話を持っていったのですが、そんなのが売れるわけがないと馬鹿にされましたね。それでも何とか2社がやってくれるということになりまして、最初は、ここの気候風土にも合わなかったりして、細かい部分まで作り上げるのには3、4年かかりましたが、それでも何とか2年目にはミニ白菜ができあがりました。ミニ野菜はもう既に10年目を迎え、白菜のほかにもミニ大根、ミニキャベツ、ミニチンゲンサイなどと種類も増え商品としても順調に育っています。
 ところが作った当時は、これは売れるだろうということでミニ白菜を作ったのですが、そこが私の間違いで全然売れなかったのです。ここが農産物流通の難しさなのですね。どういうことかというと農協、市場に出すと、そこにバイヤーが来て、値段と形を見て条件があえば買っていってそれが店頭に並べられるわけです。ところが、ここに落とし穴があったのです。白菜は3キロぐらいのものが今でも締りがよくて一番売れるわけですが、彼らから見ると苦労して作ったうちのミニ白菜が出来損ないに見えたわけです(笑)。彼らが買い入れないから結果的にはうちのミニ白菜は消費者の所に届かなかったのです。

ミニ野菜


***  以下後半につづく  ***