Vol.80 2013.12.25
発行/編集 全国商工会連合会
http://www.shokokai.or.jp/



【―きらりと光る小さな企業―】

株式会社秋田ニューバイオファーム
(秋田県由利本荘市)

原田製作所
(埼玉県和光市)

株式会社ミツボシ
(三重県三重郡川越町)


農家の安定経営、町の雇用創出に貢献

株式会社秋田ニューバイオファーム(秋田県由利本荘市)


  同社はきりたんぽ、リンゴジュースなどの加工部門を中心に、飲食部門、観光農園部門などの多角化にも積極的に取り組んでいる。
 「若者を地元に留めるためには、仕事が必要なんです。われわれが雇用を創出するには、農産物の加工や多角化を進めることなんです」と、農家の年間を通した安定経営と、町の雇用機会創出に向け、鈴木社長はさらなる多角化を目指す。

鈴木 幸夫 社長


農事組合法人を設立し、ミニトマトを水耕栽培
 秋田ニューバイオファームがある西目町は、秋田県でも指折りの米どころ。同社は1989年、稲作農家だった初代社長で現会長の斎藤作圓氏や鈴木社長ら6人の地元農家が参加して設立した。「1年を通して農家の経営を安定化させること、組織化によって農家の意識を高めること」(鈴木社長)が農事組合法人設立の大きな目的だった。最初に取り組んだのが、ミニトマトのハウス栽培だった。オランダで行った秋田県の農業研修に、斎藤会長が参加した折に視察したハウス栽培に感銘を受け、「いずれ秋田県でハウス栽培を実現したい」という思いを抱き、それを実現したものだ。
 組合法人では、町内にある県立農業高校が普通高校に変更したことから、町が買い上げた高校の農地の一部を借りて、ミニトマトの水耕栽培を始めた。栽培に当たっては、ノウハウがなかったことから、愛知県や三重県の専門の農家を訪ね、研修を受けた。
 2万平米の農地に、1,440平米のビニールハウス3棟をつくり、ミニトマトの水耕栽培を始めたものの、「年間を通して栽培できると思っていたのですが、秋田では気候的に冬の収穫は難しいことが分かりました」(鈴木社長)。
 
食品加工分野に進出し、加工、流通分野に事業をシフト
 ハウス栽培だけでは、「組合の安定経営や従業員を年間を通して雇用することができない」(鈴木社長)と痛感、87年に元祖秋田屋を設立、農産物の加工事業に乗り出した。「米の消費が落ち込んでいた時期であり、米をなんとかできないか」(鈴木社長)と、農家が収穫した米を買い取り、秋田名物きりたんぽに加工して、東京や横浜など首都圏に向け出荷を始めた。地元産のササニシキ100%の高級感を売りに、首都圏の大手スーパーなどに販路を広げた。きりたんぽは、1日1万本以上生産するヒット商品となり、同社が生産から、加工、流通にウエートをシフトしていくきっかけともなった。
  91年にはイチゴのハウス栽培を始めるなど、順調に事業拡大を図ってきた同社だが、その年秋田県を大型台風が直撃、ハウス栽培施設が全壊する。「毎年、少しずつハウスを直していき、施設を完全に再建するまでに3年を要しました。加工部門があったから会社が持ちこたえることができたんです」。鈴木社長は、同社にとって最大のピンチだった当時を振り返る。94年には加工部門を強化するため、夢づくり味工房を設立して、リンゴジュースやアイスクリーム、クッキーなどの製造に乗り出す。


ハーブ園を開園し、年間を通した事業の平準化を図る
 「きりたんぽなどの加工部門の仕事は冬に偏るため、夏を埋める仕事が必要」(鈴木社長)として、95年には東北最大のハーブ園「ハーブワールドAKITA」を開園して、観光農園事業に乗り出す。鳥海山を望む2万平米の屋外やガラスハウスにラベンダー、ミント類、バジリコ類など世界の250種類のハーブを栽培し、訪れた人を和ませている。ハーブを観賞できるだけでなく、ラベンダーなど一部のハーブは摘んで香りを楽しむこともでき、苗、種の販売も行っている。総面積3万5,000平米の園内には、レストランや売店も設け、売店では香料、ハーブティー、クッキー、ハーブオイル、ハーブ化粧品などのアロマテラピー商品が並んでいる。150席のレストランでは、地元の材料を使った料理やハーブ料理、自家製ジュースなどが味わえ、ハーブ園には町内外から年間7万〜8万人が訪れる町の観光名所ともなっている。





250種のハーブを栽培するハーブ園
 同時に、第3セクターが町内にオープンした道の駅にテナントとして参加し、ソフトクリームやリンゴジュースなどを販売、加工品類の直販にも力を入れている。秋田県が東京・港区の品川駅近くにオープンしているアンテナショップ「あきた美彩館」の管理運営も受託し、物販、飲食の運営と、多目的スペースの管理を行っている。今年3月末で委託契約が満了となったが県の公募に応募し、2018年3月末まで同社が引き続き運営を行うことになっている。
 

株式会社化し、健康産業分野にも乗り出す
 05年にハーブと岩盤温浴を組み合わせた健康産業分野に乗り出すに当たり、農事組合法人では、「岩盤温浴事業を行えないことが分かった」(鈴木社長)ため、組織を株式会社に変更した。株式会社設立に当たっては30人が出資、そのうちの半数が米やリンゴ、野菜などの農家や酪農家が占めている。
 同社の年間売上高は、約8億5,000万円で、そのうち食品加工分野が5割を占め、同社の中核事業に育っている。そのほか、飲食分野が3割、物販・その他が2割となっている。数人で始めた事業は多角化に伴い、アルバイト、パートを含め従業員数は約100人になり、町の雇用機会創出に大きな役割を果たしている。




ハーブ園、売店、飲食店などからなるハーブワールドAKITA

 冬春期はきりたんぽ、リンゴジュースの加工、夏期はハーブ園による観光農園事業などを展開してきたが、秋期を埋めるため、ハーブの時期が終わった後の観光農園事業として、新たにブドウやブルーベリー農園をオープンした。「農家の経営を安定させることや、町の雇用を増やすためには1年間仕事を平準化することが必要」(鈴木社長)との考えからだ。
 同社では、病院などの公共施設へのハーブのプランター設置にも力を入れている。鈴木社長は「ハーブ園を地元の人たちが集える場所にするとともに、ハーブの香りに包まれ、“ハーブの町”と呼ばれるような町にしたい」と、ハーブでの町おこしにも意欲をみせる。



小惑星探査機「はやぶさ」の技術を支えた町工場

原田製作所(埼玉県和光市)


  2010年6月に小惑星から物質を持ち帰ることに成功し、世界中を驚かせた小惑星探査機はやぶさ。その部品の一部が埼玉県和光市の小さな町工場でつくられた。製造したのは、機械部品やベアリング加工などを行っている株式会社原田製作所(佐藤忠光社長)だ。「他の工場ができない高度な技術に挑戦していくことが、小さい工場が生き残っていく条件」(原田政雄会長)として、ミクロンオーダーの技術に挑戦し続けている。それが、H2Aロケットやはやぶさの部品の受注につながっている。

原田 政雄 会長

ホンダ創業者の本田宗一郎から、直接技術指導を受ける
 創業者の原田会長は、工業高校を卒業すると町工場で働いていた。ある日、町工場の“おやじさん”が原田少年にこう尋ねた。「毎日、仕事を進んでよくやるが、どうしてなんだ」
 原田少年は答えた。「僕は将来、会社を興したいんです」
 「うちの工場では、独立してもあんたのところに出す仕事はない。これからはホンダは伸びるから、ホンダに行け。俺が紹介してやる」  原田少年は、“おやじさん”の紹介でホンダを訪れ、「機械が操作できる」ということで、中途採用された。半年で技術課に回された。その技術課で、「図面の見方から、描き方、機械の加工技術までを一貫して経験することができた。それが独立するうえで、ものすごく役に立った」と原田会長は述懐する。
 ホンダは当時、創業者の本田宗一郎氏が社長を務めており、社内には社長に指摘された製造工程を改善するためのチームが編成されていた。原田会長もチームの一員に加わり、一番若かったため、問題解決の方策を社長に報告する役割を負わされていた。「どんな解決策を提示しても何度も返された。一番若い私が怒られ役でした」と原田会長は笑う。本田宗一郎氏と間近に接し、今も鮮明に残っている言葉は、「世の中はすべて理論だ。神業はない」だった。
 27歳になると、原田会長は子どものころからの夢だった創業の実現に向け、ホンダを退社。しかし、事業を興すにも資金がない。親には相談できず、妻の父親に相談した。義父は次の日、目の前に80万円もの資金を用意してくれた。「今のお金にすると800万円ぐらいの大金でした」と原田会長は話す。
 70万円で機械加工機、工具を購入して、残りを当座の運転資金に充てた。1969年、自宅の片隅に機械を据え付け、機械加工、治具製作の仕事をスタートさせた。翌日から市内の工場に飛び込みで営業を始めるが、相手にしてくれるところはなかった。
 
切削加工技術が評価され、大手ベアリング会社との取引始まる
  ある日、大手ベアリング会社を訪れた。担当の係長が対応してくれたが、相手にされなかった。それでも原田会長は諦めなかった。3度目の訪問で係長は、原田会長の熱意に押され、「それなら1個削ってみるか」と、特殊ベアリングの切削加工を1個発注してくれた。すると、納入した製品が評価され、次は注文が10個になり、100個へと次第に増えていった。
  後で分かったことだったが、注文を受けたベアリングの切削は、特殊なもので他の会社では手に負えない技術だった。1回で合格品をつくったことが、その後の受注につながっていった。
 原田会長は昼間営業し、夕方から受注した商品の製造に取り組んだ。夜中の1時、2時まで仕事をする日が続いた。大手ベアリング会社の仕事を中心に受注が徐々に増え、社員も2人になり、5人になり、7人になり、現在は42人に膨らんでいる。

 小ロットの製品を熱処理から、切削、組み立てまで一貫して行う仕事が増えていった。現在、同社の80%が製品の組み立てまでの受注となっている。「組み立てて納入することで納入後、即使ってもらえる状態にすることができます。それが、他社との差別化につながっているんです」と、原田会長は同社の強みを強調する。
  創業して2年半が経過した。そのころ、ようやく両親を連れて、家族旅行する余裕ができ、5年で返す約束だった義父からの借金も返済することができた。原田会長はしみじみと話す。「『石の上にも3年』というじゃないですか、この時、どんな苦労をしても3年頑張れば何とかなると思いました」。




同社の中核製品であるスピンドル

400種類のテストを経て、H2Aロケットの部品に認定
 同社は宇宙開発事業団(現・宇宙航空研究開発機構=JAXA)が2010年8月に打ち上げたH2Aロケットの分離ナットや燃料供給バルブの製造に1号機から関わっている。事業団に部品を納めている会社から、「面倒な仕事がある。どこに出してもうまくいかない。やってみないか」と、誘われたのがきっかけだった。「できませんでは、会社は終わってしまう。高度なものに挑戦していくことが生き残りの道」。原田会長のモットーだ。事業団からの話に、挑戦することを即断する。
 H2Aロケットの部品として認定されるまでに、3年の歳月を費やした。その間、1つの部品に対して約400種類のテストを行った。認定を受けるには、何回テストをしてもまったく同じものがつくれる技術が必要だった。
  原田会長はいう。「本田宗一郎がいうように、世の中すべて理論どおりなんです。理論どおりにつくれば、同じものがいくらでもできるんですよ」。原田製作所の部品は、今もH2Aロケットの部品の一部として打ち上げられている。


技術集団の道を選び、技術の集積に努める
 H2Aロケットでの実績が評価され、小惑星探査機はやぶさの部品の製造も手掛けている。はやぶさは、JAXAが打ち上げた小惑星探査機で、イトカワから微粒子を持ち帰ることに成功している。原田製作所は、イトカワの表面にぶつけて土砂を巻き上げる予定だった直径1センチメートルの金属弾とそれを打ち込むための発射装置を製作した。
 「素材が固く、粘りが強く、削りにくかったが、これまで蓄積された技術を活用することで、それほど難しい技術ではなかった」と原田会長は言い切る。
 原田会長は創業にあたり、「大量生産を追うか、小さい企業でもいいから、技術集団でいくか迷った」という。選んだのは、技術集団の道だった。同社は工作機械の中枢部であるスピンドルを月間500本製作している。スピンドルは、ベアリングの癖を読んで、1、2ミクロン単位の調整が必要だ。「これまで培ってきた技術が、それを可能にしているんです」。原田会長は胸を張る。





熟練職人の技が高品質製品を生み出す



精巧な複製技術で世界を目指す

株式会社ミツボシ(三重県三重郡川越町)


  創業以来45年、硬質発泡ウレタンやFRP(強化プラスチック)などのウレタン樹脂を駆使した成型技術を確立し、高品質な装飾建材、オーダーメイドのモニュメント製作などを手がけてきた。企画から製造、設置まで一貫して行い、取引先は全国各地にわたる。東京・お台場の超高層マンション、千葉県や大阪府の有名テーマパークなどにも同社製品が使われている。
 同社の強みは、精巧な複製品を作る技術だ。ウレタン樹脂で成型し、特殊な塗装を施した複製品は、誰しもが目を見張るほどの出来栄え。軽量で、耐久性にも優れており、NHK放送の大河ドラマなど、数多くの映画やドラマの美術セットにも採用されている。

駒田 宗久 社長

硬質発泡ウレタンで断熱材や装飾建材を製造
 ミツボシは駒田社長の父・悟会長が1970年に創業した。三菱油化(現三菱化学)に勤めていた悟会長は、当時新素材として注目されていた「硬質発泡ウレタン」に可能性を見出し、独立。硬質発泡ウレタン製の合成木材による仏壇、仏具の製造販売を開始した。
 74年に法人化。仏壇需要の減少に伴い、工業製品にシフトしていく。硬質発泡ウレタンの特性である熱伝導率を生かし、断熱材として販路を拡大。国内トップシェアを誇る自動販売機メーカーの下請けとして、飲料用自販機や冷凍・冷蔵ショーケース、クーラーボックス用の断熱材を製造するようになる。この頃から、戸建住宅や高級マンション向けの装飾建材の製造も開始。FRP素材も導入し、大型のモニュメント製作や装飾品の分野に参入していく。
 現在、従業員は25人。工場は、本社のほかに第2、第3工場を有する。本社工場では、装飾建材、照明枠などを生産。第2工場は、自販機メーカーの断熱材や自動車電装部材の組立治具の成形に対応、第3工場は、美術セットの製作や特殊塗装などを行っている。

 駒田社長は高校卒業後、ミツボシで2年間働き、硬質発泡ウレタンの原液メーカーに入社。5年ほど勤めて専門知識を身に付け、同社に戻った。大型の発泡ウレタン注入機を導入して生産量の拡大を図ったり、複製技術を生かして美術セット市場を開拓したりするなど、製造現場の整備と新たな市場開拓を進めてきた。
 「ものごころついた頃から、工場が遊び場でした。家業を継がないなんて考えたこともない」と駒田社長。後継者として、商工会青年部活動にも励み、三重県商工会青年部連合会の会長も務めた。07年に社長に就任、最前線の現場仕事に奔走している。
 


FRP製の岩の複製品。触れても岩の質感そのものだが、簡単に動かせるほど軽量

再現力の高さが評価され、ドラマの美術セットに採用
 同社が複製品の分野に注力するきっかけとなったのは、千葉県の有名テーマパークからの発注だった。創業当初からウレタン樹脂で木材の複製品を作る技術はあったが、大理石やレンガなど多彩な素材のレプリカに挑戦したことが、複製品による新たな市場を見出すことにつながった。
 ウレタン樹脂の製品は、軽くて丈夫。しかも、特殊な塗装を施すことで、本物と見紛うほどの複製品を作ることができる。ミツボシでは、オーダーメイドの複製品の需要を感じ、精巧な複製品づくりの技術を高めるようになる。その完成度の高さが次第に広まり、リアルな質感が求められる映画やテレビの美術セットに採用されるようになった。名作と呼ばれるドラマに幾度となく使われており、テレビ画面を通してミツボシ社の製品を目にしている人も多いだろう。

 この“本物そっくり”を再現するために最も重要なのが「型取り」作業である。型取りは、現物に直接シリコンゴムを塗布して型を取る作業。シリコンゴムを丁寧に塗布することで、土の質感、布の質感、紙の質感など、現物が持つ本来の質感を巧みに写し取る。「いかに忠実に仕上がるかは、この型取りの精度が肝」と、駒田社長は言い切る。
 こうして塗布したシリコンゴムを固めて剥がし、ゴム型にウレタン樹脂を注入、硬化させてゴム型から外すと複製品の土台となる「型」ができ上がる。仕上げの塗装技術もさることながら、土台となる型の出来栄えによって複製の度合いがまったく変わってくるため、シリコンゴムに質感を写し取る作業は熟練の技が必要となる。


オーダーメイドで製作した体長20メートルもの巨大なライオンのモニュメント

 「縄文式土器の複製を依頼されたときは、非常に神経を使いました。美術品や工芸品のレプリカ作成は、現物が壊れやすく繊細です。塗布する技術力ももちろんですが、現物によってシリコンゴムの粘度や配合を変えて、使いやすく調整しています。この加減も当社の技術の一つです」と駒田社長。独自の技術は細部にわたる。


3Dスキャナーなど最新設備を導入収益力の向上をねらう
 ここ数年は、神社仏閣や歴史的建造物の修復依頼が増加。耐久性に優れ、元の素材と遜色ない仕上がりであり、実物の素材で再現するよりも低価格で製品化できるためだ。こうした修復を含めた複製品の注文は、売上の半分を占めるほどに伸長しており、同社としては付加価値の高い仕事として今後拡大していきたいと考えている。
 一方で、これらの仕事は現地での型取り作業が必要。天候や気温、湿度などが予測できず、有料施設などでは作業時間に制限が出てくるなど、作業が長期化する場合がある。さらに、職人の技術力に左右されるため、受注の機会を逃すこともしばしばだった。


瓦から石垣まですべてウレタン製。写真奥の壁を見れば室内セットであることがわかるが、外にあれば本物の石垣と見分けがつかないほど

 そこで、ミツボシでは型取り作業の効率化と受注拡大を目指し、3DスキャナーとNC工作機の導入を検討。今年度の国のものづくり中小企業・小規模事業者試作開発等支援補助金に採択された。3Dスキャナーで読み取った現物データをNC工作機に入力、ゴム型を作る計画だ。これによって現地では現物データの読み取りだけで作業が済み、ゴム型の製作は自社工場でできる。型が数値化されるので品質の安定化も期待できる。
 駒田社長は「新設備の導入で収益力を向上させ、ゆくゆくは海外市場からも受注できる体制に整えたい」と、事業拡大に意欲を見せる。最新技術を取り入れた新たなビジネスモデルを構築し、日本の複製技術として海外進出を目指す。