Vol.78 2013.10.22
発行/編集 全国商工会連合会
http://www.shokokai.or.jp/



【海外展開特集】

〜座談会〜

富裕層をターゲットに
丹波の地酒を25ヵ国で展開

日本で企画し、アジアで生産し、
日米欧で販売する


【海外展開特集〜座談会〜】
 

   宗像 利浩
   宗像窯8代目当主
   (福島県会津美里町
   商工会会長)

福島県旧会津本郷町(現会津美里町)の会津本郷焼の窯元。宗像窯は、奈良時代に福岡県・宗像大社の布教活動で移り住んだ先祖から始まり、やきものが専業になってから宗像 利浩氏で8代目。

 

   山下  剛
   株式会社山下精工
   代表取締役社長
   (山梨県商工会青年部
   連合会前副会長)

山梨市牧丘町で、一般規格ネジ・特種ネジ・精密マイクロネジや特殊シャフトの製造販売会社を経営。一昨年、先代の父から事業を引き継ぐ。従業員18人。今年の5月まで山梨県青連の副会長を務め、現在は山梨市商工会の理事と商工会青年部の相談役を務める。

 

   【司会】勝野 龍平

全国商工会連合会専務理事



●小規模企業にとって人材、資金、情報収集などの面から、海外にチャレンジすることは一大決心です。海外へ挑戦することになった経緯をお聞かせください。

【宗像】
 平成16年に、会津本郷焼の17の窯元で地域ブランド「HONGO GROUP」を立ち上げたのが始まりです。当時の商工会経営指導員が中小企業庁の「JAPANブランド育成支援事業」の情報をいち早くキャッチしてきたことからこれに挑戦し、地域ブランドによる海外展開に乗り出すことになりました。
 平成17年2月、ジェトロ(日本貿易振興機構)の協力を得て、ドイツ・フランクフルトで開催されている世界最大級の国際消費財専門見本市「フランクフルト・メッセ・アンビエンテ」に出展しました。
【山下】
 リーマン・ショック後の円高で事業縮小の危機に見舞われたことから海外進出を模索し始めました。大手企業が生産ラインを海外に移し、国内製造業が空洞化していく一方で、アジア市場はどんどん拡大しています。このまま何もしないのはまずいと感じました。
 まずは海外に需要があるかどうかを知るために、県の補助事業を活用して上海での展示会に出展しました。

●お二人とも、国や県の支援施策をうまく活用されて海外へチャレンジされました。宗像さんは、展示会でどのような成果がありましたか?

【宗像】〜ドイツの国際見本市に参加 美術館や百貨店から引き合い〜
 アンビエンテは6日間、出展者数5,000社弱、バイヤーや業界関係者が90ヵ国から15万人が来場しました。展示会場は1〜10号館まであり、陶磁器製品は低価格商品を6号館に、高級品を10号館に分けて配置されていました。ジェトロのブースは10号館の1階を確保しており、その真ん中にHONGO GROUPの商品を展示しました。
 本郷焼の成果としては、アメリカのメトロポリタン美術館やドイツの美術館からサンプル提供の打診があったり、イギリスや香港の高級百貨店から取引の申し込みがあったりしました。
 10号館にブースがあったことで、品質を見極められる感度の高い人がたくさん訪れてくれたのは非常に良かったのですが、本郷焼の本質をきちんと伝えることができたかというと、これが大きな課題だったと思います。形や色といった見た目の美しさだけではなく、作品に潜む日本文化の背景や作家の想いを伝えなければだめですね。本郷焼の付加価値を発信していくことが何より大事だと感じました。

【山下】〜上海の展示会で日本製品の信頼の高さを実感〜
 中国といえば、安かろう悪かろうのイメージでしたが、人件費の上昇に伴って、製品の品質向上に転換を図っていることがわかりました。質の高い製品をつくるため、良い部品を探している企業がたくさん当社のブースを訪れました。
 ネジは、見た目ではその製品の良し悪しはわかりません。使ってみて初めて違いがわかります。とはいえ、「中国のネジは良くない」「日本のネジが使いたい」と現地の人が口々にいうほど、中国製のネジへの不満があり、日本製品は信頼されています。今打って出れば、入り込める余地があると強く感じました。
 何度か上海の展示会に出る中で、中国での販路開拓の手応えを感じました。取引もすごくシンプルで、メーカーと最終ユーザーがブローカーを介して直接取引することがほとんどです。ネックとなったのは「中国国内で買えないならいらない」と、国内で買えるならほしいけど、わざわざ海外取引をするほどではないというのです。
 そこで、県の支援を受けてこの9月に、上海近郊の江蘇省昆山市に販売拠点を開設する運びとなりました。昆山市は、外国企業が多く進出している経済技術開発特区で、東京の秋葉原が凝縮したようなモール「昆山賽格電子市場」があります。このモールの中に、山梨県内の工業系企業10社で「山梨県企業コーナー」という形で入居します。
 モール側も日本企業の入居に歓迎で、家賃や税制面での優遇もあるということで、準備に1年ほどかかりましたがオープンできることになりました。

●昆山市だけでなく、カンボジアにも共同進出される予定がありますね。

【山下】〜全国連の支援事業を活用 カンボジアに共同進出〜
 全国連の「共同海外現地進出支援事業」を活用して、山梨県連と中小企業9企業と一緒にカンボジアに販売拠点をつくります。なぜカンボジアかというと、県青連が主催しているチャリティーイベントの収益金をカンボジアに寄付しているつながりがあるからです。もう5年になりますが、現地に消防車を贈ったり、井戸を掘る資金にしてもらったり、NPO団体を経由してカンボジア支援に関わってきました。
 こうした活動から領事館などともつながりができ、私たちの現地進出への協力が得られることになりました。今後の発展が期待できる国ですので、挑戦してみようということで意見が一致しました。

●全国連も支援機関の1つとしてぜひ活用してほしいと思います。今年度から、中小・小規模企業の海外展開を支援する3つの施策を用意しています。
  1つ目は、展示会やアンテナショップを活用した販路開拓支援です。具体的には、中国とタイにアンテナショップを開設するとともに、ヨーロッパやアメリカでは展示会への出展を支援して販路拡大の機会を提供していきます。
  2つ目は、「中小企業販売力強化支援モデル事業」といい、企業の海外展開をサポートできる専門企業の取り組みを支援して、中小・小規模企業の事業拡大につなげます。
 3つ目は、山下さんも活用されている「共同海外現地進出支援事業」です。中小企業や商工会など7者以上のグループによる海外進出を支援する事業で、応募者数も多く非常に人気があります。
 また、現在商工会組織を挙げて実現に取り組んでいる小規模企業基本法(仮称)でも、海外展開支援は1つの大きなテーマだと思っています。全国連では、これまで以上に中小・小規模企業の海外展開を支援していく考えですが、お二人は商工会の海外展開支援にどんなことを期待しますか?

【宗像】〜作品の背景や想いを伝えられる仲介役の養成を〜
 海外で販売する際に大事なのは仲介役には、日本文化やヨーロッパ文化についての造詣が深く、五感で作品を見ることができる感性の高い人が必要であり、そのような人材の養成をお願いしたいと思います。
 それから、販売するものによっては、展示会を開催する場所も重要です。フランスでも、パリのどの地区なのか、あるいは高級デパートの中でも高級ブランド品売場なのか、日常の器コーナーなのか、どこに置くかという明確な戦略が必要です。そして大量に売ることも大事ですが、それと同時に日本の優れた作品を通しての日本の良いイメージを発信することが最も大事と思います。そのために事前の現地調査はしっかり行ってほしいと思います。

【山下】〜自社の販路拡大をもって地域の活性化に貢献したい企業の育成を〜
 地域は2種類の企業で成り立っていると思います。1つは、地域の消費生活を担う企業、2つ目は、外貨を稼いで地域の雇用を守る企業です。当社は、地域の雇用を守ることを前提に、製品の販路拡大として海外に進出します。海外に進出する地域企業の多くは、自社の販路拡大をもって地域の活性化に貢献したいと思っているところが多いのではないでしょうか。
 商工会には、こうした地域企業の想いを理解していただき、これからも支援制度を拡充しながら、中小・小規模企業の海外進出をサポートしてもらえればと思います。




【富裕層をターゲットに丹波の地酒を25ヵ国で展開】
株式会社西山酒造場(兵庫県丹波市)

 西山酒造場は、2007年から海外展開に取り組み、現在では中国、シンガポール、アメリカなど世界25ヵ国に販売網を確立、売上の15%を海外市場が担うほどまで伸長している。同社の国内主要マーケットである神戸、大阪、東京に次ぐ市場となっており、今後ますます拡大が見込まれる。
 同社では、既存の清酒に加え、新商品のノンアルコール製品や化粧品なども輸出する計画で、現地富裕層をターゲットに高価格帯製品で売り込みをかける。
6代目の
西山周三社長

■地域貢献を担う企業へ組織改革を断行

  創業1849(嘉永2)年の西山酒造場は、清酒蔵として誕生した老舗の酒蔵だ。従業員は、パートを含めて30人。主力銘柄の清酒「小鼓」は、俳人・高浜虚子によって命名された逸話を持つ。1982年には栗焼酎を全国で初めて発売、その後グラッパや梅酒といったアルコール商品を大幅に拡充し、最盛期には約50アイテムにまで広がった。
 現在6代目を務める西山周三社長は、東京の大学を卒業後、読売テレビ放送社に5年勤め、2001年に家業に入った。地元に戻った西山社長がまず感じたのは、地域が疲弊していることだった。
 「先代までは、おいしい酒造りを忠実に行って自社の経営を向上させればよかったのですが、時代が変わり、それだけでは企業は生き残れなくなっています。伝統産業こそ技術革新が必要です。戦略をもって自社経営を発展させ、それによって地域に貢献することがこれからの企業のあり方だと確信しました」(西山社長)。
  「丹波のリラクゼーションの創造と提供」を企業理念に掲げ、組織改革に着手。従業員の意識改革から始まり、製造工程、出荷時期の見直し、コストの削減など社内体制にメスを入れてきた。国内の既存販路の整理も断行、一旦は大幅に売上が減少したが、それまで手つかずだったネットショップや特別販売会などの“直売”に踏み込むことでV字回復を果たした。


西山酒造場の酒蔵
   「小鼓」の純米大吟醸酒「路上有花」は、各国で人気を博す

■海外の高級レストランで日本酒マーケットに手応え


  海外展開に踏み切ったのは社長に就任した2007年。周囲から海外進出を勧められることが増えたことから、西山社長は海外の日本酒マーケットを確かめようと、アメリカ、ロシア、中国など世界10ヵ国を回った。「行ってみて驚きました。各国で現地の富裕層が、日本料理に合わせて日本酒を愉しんでいました。現地価格で2万〜5万円くらい、 日本人が高級ワインを開けるような感覚なんでしょう」。海外の日本酒マーケットに手応えを感じた西山社長は、海外進出を決意する。
 初めは取引国数を増やすことに専念した。海外営業は、西山社長が自ら担当。自社で収集した情報をもとにターゲットの飲食店や酒販店を訪問し、実際に目の前で試飲してもらいながら商品を売り込んだ。




香港での試飲会で、現地の人に自社製品をアピール
 通常、酒造メーカーが海外展開をする場合は日本の商社に任せることが多いが、西山酒造場では自社で販路を開拓している。流通コストを抑えられるのはもちろん、「商品を取り扱ってほしいと思う店に直接アプローチできる」ことも大きな理由の一つだ。
  各国で展示会などにも出品し、PR活動を展開。40ヵ国近くで商談を重ね、今は25ヵ国に輸出している。特に香港での販売が好調で、熱心な販売代理店との出会いもあって、年々輸出額が伸びているという。
 進出先として真っ先に選んだのが中国だった。一般的に日本酒の輸出先としてはアメリカが多いが、「大手と同じ戦略では、海外展開の後発組である当社は太刀打ちできない」(西山社長)と考え、アジア市場から開拓することを決断。この戦略が功を奏し、中国、香港、シンガポールで人気が爆発、アメリカにも飛び火し、各国に広がりを見せるようになった。

■HPを多言語化 取引拡大をねらう


 海外で評判を呼んだ理由には、先代からこだわってきたボトルとラベルのデザインが大きく影響している。芸術家・綿貫宏介氏による文字を抽象化した独創的なパッケージデザインが外国人の心を掴んだ。また、世界的に有名なワイン評論家のロバート・パーカー氏に「ワインを超えた日本酒」と絶賛されたことも、海外市場で大きな武器になっている。
 近く、ホームページを12ヵ国語に対応させる計画も進める。現在は日本語と英語のみだが、中国(北京、広東)、フランス、ドイツ、イタリア、韓国、スペイン、ポルトガル、ロシア語に加えアラビア語の導入も検討。現在取引がある25ヵ国のうち8ヵ国はHPから商談につながっており、HPの多言語化によってさらなる取引の拡大を期待する。
  一方で、海外取引は売上金の回収リスクも高いため、前金制でリスクを回避している。前金が難しい場合は、信用状(L/C)取引で決済するなど、慎重な姿勢を崩さない。これまでに、「台湾で商標登録を取られそうになったり、中国では拠点誘致に関しての問題が発生したりしました。海外進出のリスクはそれなりにありますから」と、西山社長は苦い経験を語る。
  基本的には国内商社を通していないため、伝票処理や受注管理のほか、貿易決済も自社で行う。東日本大震災での原発事故以来、輸出証明書を求められることも多い。現在こうした業務は、商社で海外取引経験がある社員が担当しているが、外国からの問い合わせの増加に伴い、外国人の雇用も進めている。

■女性をターゲットに商品展開


 日本酒の海外展開と並行して力を注いでいるのが、女性をターゲットにした新商品の開発だ。酒蔵で長年培った日本酒の発酵技術や焼酎の蒸留技術を生かし、女性や子ども向けにノンアルコール製品や甘酒ヨーグルトなどを開発、国内外で人気商品となっている。2011年には化粧品製造販売業の免許を取得、化粧品ブランド「真!!素滴」を立ち上げ、今年8月に発酵技術を生かしたプレミアム石鹸(1セット5,250円)をお披露目した。インターネットでの販売に加え、海外市場にも売り込む構え。
  こうした新製品の売上は現在、全体の9%程度まで伸びており、今後ますます拡大していくと見ている。「健康、美容、環境をテーマに女性向けの商品を強化し、国内外でアルコール商品とは違う販路を開拓していきたい」と西山社長。女性目線の商品開発と海外市場への販路拡大を第2創業の柱に据え、地域貢献企業としてのさらなる躍進を目指す。
丹波の自然素材にこだわるプレミアム石鹸と甘酒ヨーグルト。



【日本で企画し、アジアで生産し、日米欧で販売する】
株式会社スワニー(香川県東かがわ市)

 
手袋メーカー・スワニー(板野司社長)の経営コンセプトは、「日本で企画し、アジアで生産し、日米欧で販売する」ことだ。同社は韓国を皮切りに、中国、カンボジアなどに次々、生産工場を建設すると同時に、米国に販売拠点を設け、米国をはじめカナダ、欧州などで手袋やキャリーバッグなどの販売を行っている。現在は製品のほとんどを海外で生産し、全生産量の35%が海外での販売となっている。

 スワニーは昭和12年に三好鋭郎会長の父親がメリヤスの手袋を生産するため創業。その後、皮手袋、スポーツ手袋、キャリーバッグと商品の拡大を図ってきた。三好会長は33年に高校を卒業すると同時に家業に入り、メリヤスの手袋に加え、皮手袋の製造にも乗り出すなど、商品の拡大を図っていったが、「季節商品のため、忙しいのは年末から翌年の3月までで、平準化するには海外市場の開拓が必要」と思うようになった。39年、24歳だった三好会長は、欧米の市場を開拓するため、1ヵ月かけてサンプル商品を持って米国、カナダ、欧州を行脚した。米国で商工会議所に飛び込み、輸入業者を紹介してもらい、手袋を売り込んだが商談には結びつかなかった。

■何度も訪問し、米国の大手小売店との取引に成功

 三好会長が海外を回って痛感したことは、「海外での商談は、英語がしゃべれないと話にならない」ということだった。通訳を介しての商談では、十分に意思が伝わらないからだ。三好会長は帰国するやNHKラジオの英会話教室やケネディ大統領の講演テープを聴くなど、独学で英会話を勉強した。
  英語が上達するにつれ、「直接バイヤーと話ができるようになり、小売店などの情報が入るようになった」。バイヤーからの情報を基に、シアーズ・ローバックなど米国の大手小売店に直接アタックした。直接会社を訪問し、担当者に面会を申し込んだが、「最初はまったく相手にされなかった」。三好会長はめげずに何度も訪問した。最初に訪問してから7年が経過した。40年、18回ものアプローチの末に、米国シアーズ・ローバックからの受注に成功した。同社の商品の品質、値段、納期の正確さが評価され、KマートやJCペニーなどの大手小売店との取引につながっていった。
  53年には三好会長が父親の後を継いで社長に就任。米国での取引先が広がるにつれ、「商品を即納できる体制を構築する必要がある」として、55年には米国ニューヨークに海外の販売拠点を設けた。

■安い賃金を求め、韓国、中国、カンボジアに工場を建設


 販路が海外に広がる中で、手袋製造は韓国や中国などの賃金の安い後発国の追い上げで厳しい状況に置かれていった。「日本の従業員の賃金が月給3万〜4万円の時に、韓国では7,000円でした。労働集約産業は、賃金の安い海外に出ないと生きていけない」。三好会長は台湾か韓国か悩んだ末に、韓国に進出することを決断。47年、韓国・馬山の工業団地内に工場を建設した。その後、7年間に韓国に3つの工場をつくり、1,000人以上を雇用した。


手袋工場の1つである「中国スワニー有限公司」
 しかし、韓国の従業員の賃金も徐々に高騰し、50年末ごろには月給3万円に跳ね上がった。同時に、世界のバイヤーも中国に目を向けるようになっていった。「当時、中国の従業員の賃金は月4,500円でしたので、中国へ進出することを決めました」。59年に中国江蘇省に工場を建設したのを皮切りに、平成元年までの間に6億円を投じて、合計4工場を建設。ピーク時には、4工場で1,600人の従業員を雇用した。
 中国への投資が活発化するにつれ、賃金も高騰し始める。中国では人手の確保が難しくなり、工場の従業員も900人に減少。平成24年には低賃金や人手を求め、カンボジアに進出した。現在、同社の工場で450人の従業員が働いているが、「生産は計画通りに進んでいない。軌道に乗るまでには、まだ1、2年必要」という。その大きな理由として三好会長は、「従業員の労働意欲が不足していることや、日本語ができる人が少ないこと、交通インフラが十分でないため、トラックでの送迎が必要である」ことをあげている。
同社が生産している手袋の一部
  同社では新たな進出先として、インドネシアを検討しており、現在下請け工場で手袋の生産をしている。「安定的に供給していくには、中国での生産減少分を他の国で賄っていく必要があります」と、三好会長は話す。
  メリヤス手袋、皮手袋、さらにはUV手袋など手掛けてきた同社だが、もう1つ大きな柱に育っている商品がある。三好会長が自ら開発し、「ウォーキングバッグ」と名付けたキャリーバッグだ。開発のきっかけは、三好会長が手袋の営業で訪れたニューヨークで、車輪が付いた大きなトランクに出会ったことだ。小児マヒの後遺症で右足が不自由な三好会長は、トランクに身体を預けると楽に歩けることに気が付いた。

■キャリーバッグを開発し、手袋に次ぐ柱に育つ


 バブル崩壊で手袋の需要が減少していたこともあって、三好会長は自らタクシーに乗せることができ、機内に持ち込めるコンパクトなキャリーバッグの開発に乗り出した。「体重をかけても倒れないハンドルの開発が難しかった」が、ハンドルにカーブを付け、キャスターのベアリングを改良することで体重をかけても楽に歩けるキャリーバッグの開発に成功。しかし、3年経っても売れず、役員から撤退を迫られた。そんな中で、製品につけたアンケートはがきで、「腰痛で歩くのが不自由だったが、歩けるようになりました」「十分使える。愛用しています」などのユーザーの声が寄せられるようになり、三好会長はマーケットの存在を確信した。自らの開発ストーリーをアピールしたことで、キャリーバッグの評価は高まり、4年で黒字に転じることができた。



自ら開発した「キャリーバッグ」と三好会長
 現在では全体の売上のうち、手袋が75%を占めるが、キャリーバッグの売上は25%を占めるまでになり、手袋に次ぐ柱の1つとなっている。新たにコンパクトな車いすを開発するなど開発意欲旺盛な三好会長だが、娘婿の板野社長と二人三脚で「世界のスワニー」を目指した挑戦が続く。