Vol.77 2013.9.10
発行/編集 全国商工会連合会
http://www.shokokai.or.jp/


【ものづくり特集】

 大手企業の海外進出、中国やインドなど新興国の台頭により、わが国のものづくり企業は厳しい環境にあると言われて久しい。そんな中、独自の技術や販売の仕組みなどを構築し、新たな道を切り開いているものづくり企業もある。地方で頑張っているものづくり企業や、ものづくり企業の支援に積極的に取り組む商工会を紹介する。


【地域ものづくり企業を組織化 受注の拡大に取り組む】
  東京都・瑞穂町商工会工業部会

 瑞穂町商工会(天沼武夫会長)の工業部会は、地域産業を構成するものづくり企業の受注の拡大に取り組むため、「瑞穂ファントム工場」を運営している。
  商工会の工業部会員のうち44社が参加。「ものづくりのプロフェッショナル集団!」を掲げ、商工会が窓口となって、製品の設計から製造、組み立て、検査、納品、保守サービス、さらには一貫したコンサルティングまでクライアントの要望に対応できる体制を整えている。


〜リーマン・ショックを機に瑞穂ファントム工場を組織化〜

 平成20年、リーマン・ショックによって地域企業の受注量が大幅に落ち込んだことを受け、商工会工業部会ではリスクの少ない大手・中堅企業との取引を支援できないかを検討。東京都の補助金を活用して、瑞穂ファントム工場を組織した。
 インターネットを使った受発注システムの構築や、展示会などでのPR活動を展開するほか、大手企業OBによる技術指導、経営指導員による創業支援策の活用など、各事業所の経営基盤の強化や創業支援の推進などにも取り組んだ。
 設立当時24社だった参加企業は、今では44社に拡大。医療機器、半導体、自動車、航空機関係など、小さいながらも独自の技術を有する企業が参画しており、「できないことはほとんどない」と天沼会長は自信をみせる。実際に取引があったクライアントからは「商工会が窓口になって適材企業をマッチングしてくれるので、話がスムーズに進む」と評価されている。

展示会で「瑞穂ファントム工場」をPR


〜ファントム工場の取り組みが商工会員の増強にも効果〜

  ファントム工場を通した成約件数はこの2年で10件にのぼり、今年はすでに6件の問い合わせが入っている。ホームページやフェイスブックの充実で、問い合わせが増加傾向だ。展示会への共同出展で新規開拓につながったメンバーや、地域企業間での取引が始まるなど、波及効果は計り知れない。
 商工会が間に入っていることで、メンバー企業の意見の吸い上げや情報共有、連絡が公平に行え、単独では展示会に出展できなかった事業者も共同出展できるなど、メンバー企業にも喜ばれている。昨年は、「ファントム工場に参加したい」との理由から商工会に入会した企業もあり、商工会の会員増強にも一役買っている。
 ファントム工場に対する町の評価も高く、昨年から地域の産業振興策の柱として「ものづくり企業への振興」が掲げられた。議員団がメンバー企業の視察に訪れ、予算がついたほか、展示会の際には町職員がチラシの配布を手伝うなど、支援体制が強化されている。
  今後の展開について天沼会長は、「いずれは商工会から独立させて別法人を設立したいと思っているが、まずはメンバーを50社、100社と増やして、地域のものづくり産業を活性化させていきたい」と、ファントム工場のさらなる知名度アップとメンバー企業の受注拡大に力を入れる。


メンバー企業の工場見学会を実施

天沼商工会長

岡本工業部会長



【染色・機械開発技術を融合し、デニムのトップメーカーに】
カイハラ株式会社(広島県福山市)

 ジーンズ生地・デニムの生産でわが国のシェアの50%強を誇るカイハラ(貝原潤司社長)。備後絣の製造からスタートした同社が巨大デニムメーカーに変身を遂げることができたのは、長年培ってきた染色技術と紡績から、織布、整理加工までを一貫して行う一貫生産体制の構築にある。


〜紆余曲折を繰り返してきたカイハラ〜

 明治26年、地場産業である備後絣を製造する個人商店として創業し、昭和26年に法人化。絣の需要拡大を背景に、創業10年後には手織り機70台、社員30人を有する組織に成長。しかし、太平洋戦争の勃発で事業は縮小を余儀なくされた。
 昭和29年、手作業で行っていた染色作業を機械化したことで、「生産量が数十倍拡大すると同時に、染料の使用量を25%削減することができた」(貝原良治会長)。他の絣の産地にも染色機械を販売することで復活のきっかけをつかみ、国の絣の生産拡大につながった。しかし、備後絣は、昭和35年をピークに大幅な落ち込みを見せ始める。


貝原良治会長

 県や商社などから、「備後絣の用途を拡大するため、広幅の絣をつくって欲しい」と要請され、洋服用の広幅絣の研究をスタートさせた。織り機の改造を重ね、昭和31年に世界で初めて36インチ幅の広幅絣の織り機を開発。広幅絣の開発で、絣の用途は大幅に拡大した。
  商社から、「広幅絣を中近東の民族衣装であるサロンに使えないだろうか」という話が舞い込み、36年には48インチ幅の絣入りサロンを開発、中近東向けに輸出を開始する。絣入りサロンは、中近東で高級サロンとして人気を集め、「備後絣に代わって、わが社の大きな柱となり、経営的にも一息つけた」(貝原会長)のも束の間、中近東の政情不安で英国ポンドが急落、中近東へのサロンの輸出量は激減。そして、44年にはサロンの生産からの撤退を余儀なくされる。加工収入の3分の2を占めていたサロンの生産中止で、280人いた社員は半減。同社にとって、「創業以来のピンチ」(貝原会長)を迎える。



〜ロープ染色機を開発し、デニムの生産を開始〜

 懇意にしていた衣料品メーカー等の経営者が同社を訪れ、「デニムの生地を生産して欲しい」と、デニム生産の要請を受ける。当時の定治社長は、デニム生産への事業転換を決断、開発に着手した。
 米国で行われている糸をロープ状に束ねて染色するための染色機械の開発に着手。中古部品を買い集め、組み立てたり、壊したり7ヵ月間試行錯誤を繰り返し、ロープ染色機の自社製作に成功した。同社は創業当時から、染色機や織り機などの機械は、開発部門を設け自社で開発してきた。「機械の開発技術と、それまで培ってきた染色技術が一体となって、わが国で初めてのロープ染色機の開発につながった」と、貝原会長は開発に至るまでの経緯について話す。

  48年には世界1のジーンズメーカーであるリーバイス社の幹部がデニムを求めて来日。その幹部はカイハラのデニムに触れ、品質の高さに驚き採用することを即断する。リーバイス社に採用されたことで、カイハラのデニムは世界のジーンズメーカーから注目されるようになった。52年には、ロープ染色12万反(月産)を達成し、わが国デニムの50%強のシェアを占めるまでになった。米国や欧州への輸出も増えていった。現在ではリーバイスに加え、エドウイン、ユニクロなど世界の有名ブランドに生地を納めている。


ジーンズ特有の風合いを出すためのロープ染色


〜デニムの一貫生産体制を確立、品質の安定化を図る〜

 55年には染色に加え、新たな設備を導入して表面のケバを取る毛焼き、生地に腰を持たせるためののり付け、防縮などの整理加工業務に乗り出す。そして、「投資効率が悪い紡績への参入は無謀だ」との声がある中で、紡績加工に進出した。「質の高い糸を安定的に供給できれば、製造ロスが少なくなり、質の高いデニムを供給することができるからです」貝原会長はその理由をそう説明する。平成3年には紡績工場を竣工し、紡績、染色、織布、整理加工まで行う一貫生産ラインを完成させた。「一貫生産体制の確立で品質の安定性、再現性が可能になった」(貝原会長)ことから、カイハラのデニムは高品質のデニムとして世界で認められるようになった。
 カイハラのデニムが、世界で注目されているもう1つの理由は提案力。デニム生地へのニーズが絶えず変化する中で、同社では製造経験のある営業マンが東京に駐在し、流行をチェックすると同時に、クライアントにも頻繁に足を運び情報の交換を行っている。それらの情報と海外から集めた情報を基に、営業、技術、生産の3部門が一体となった商品開発を行い、年間800種類ものサンプル生地をつくっている。

 紆余曲折を繰り返してきたカイハラだが、苦難を乗り越え世界のデニムメーカーとして認められるようになった大きな要因は、「蓄積してきた染色技術や機械開発技術があったから」と、貝原会長は技術の積み重ねを強調する。そして、「これまで培ってきた技術力を基に、今後も品質にこだわり、“カイハラデニム”を世界に発信していきたい」(貝原会長)と、さらなる飛躍を目指している。


年間800種類ものサンプル生地をつくる


【共同工房を設立して20年、職人が連携して刃物産業を継承】
タケフナイフビレッジ協同組合(福井県越前市)

 700年の歴史を刻む国の伝統工芸品「越前打刃物」。京都の刀工・千代鶴国安が名水を求めて武生(現越前市)に入り、農民の鎌を制作するようになったことが起源とされている。この古来のものづくりの技術と精神を受け継ぐ職人たちが、刃物産業の未来を見据えて武生の地に設立したのが、共同工房「タケフナイフビレッジ」だ。
 今年で設立20年。共同工房は、越前打刃物の技術継承と販路拡大に大きな役割を果たしている。共同工房内で働く職人は設立当時の8人から17人に増え、刃物産業の後継者が育っている。工業デザイナーとともに開発した商品は海外で評判となり、世界的な刃物の産地であるドイツ・ゾーリンゲンに認められ、海外展開が始まった。


〜工業デザインを取り入れたナイフを発表〜


  共同工房の設立は、昭和55年、地域の刃物業者らが伝統技術を生かした新商品の開発を始めたことに遡る。高度成長に伴う新しいライフスタイルの形成によって、従来の包丁や農機具の製造では市場が先細りしつつあった。そこで、「インダストリアルデザイン」の観点を取り入れた商品の開発を検討、新たな販路の創出を目指した。
 福井県出身のデザイナー川崎和男氏に依頼して、それまでの越前打刃物の概念を覆す、未来志向の「タケフナイフ」を発表。刃と柄が一体となった斬新な形状のステンレス製ナイフは、国際見本市で高い評価を獲得し、平成2年にグッドデザイン賞を受賞した。


共同工房「タケフナイフビレッジ」

  初の地域ブランド商品の誕生は、職人たちにとって新たな可能性と自信をもたらした。自社工房で黙々と製品を造っていた職人たちが、技術を持ち寄り、ともに新しいものづくりに取り組んだことで、それまでなかった職人同士の交流が生まれ、地域の後継者を育てたいという意識も高まった。
 そこで川崎氏が提案したのが共同工房の設立だった。「共同工房を持てばタケフブランドの製品開発がスムーズになるし、普段の仕事の融通もできる。機械を共有すれば、コストの削減も図れる。さらに、若者が勤めやすい環境にできれば、後継者が育つのではないか。こうした考えがメンバーで一致した」(加茂代表理事)ことから、共同工房の設立に至った。
 平成5年、国の融資を受け、メンバー10社が出資してタケフナイフビレッジ協同組合を設立した。そのうち7社が共同工房に入居、ほか3社は自社工房で刃物づくりに勤しんでいる。



〜海外取引が7割を占める〜

 共同工房では、7社17人の職人たちが昔ながらの手作業で製品を造っている。主に包丁の製造を行い、5社が鍛冶を、2社が刃付を担当している。約800℃の高温で熱した鋼材をベルトハンマーで打つことにより、形や厚みを整えながら強靭な刃を造る。次にこれを常温で同じようにベルトハンマーで鍛えながら整形して、一丁ずつ「焼入れ」(高温に熱して水で急冷する)をしたり、数種類の砥石で研ぎ分けたりと、25もの工程を経て最終製品に仕上げられていく。



海外での展示会でバイヤーから高い評価を得た

 切れ味の良さは古来より折り紙つきだが、世界的な評価を得られるようになったのは、川崎氏がデザインしたタケフブランド商品の影響が大きい。平成17年にJETRO(日本貿易振興機構)の支援を受けて、ドイツで開催されている世界最大級の国際消費財専門見本市「フランクフルト・メッセ・アンビエンテ」に出品したところ各国のバイヤーの注目を集めた。形状の美しさと切れ味の鋭さが評価され、世界でトップクラスの刃物の産地であるドイツのゾーリンゲンとの取引が成功した。
  今では、海外企業と協同組合との取引は、商社を通して13社にものぼる。主にヨーロッパを中心に、製品売上の7割を海外での販売が占めている。タケフブランド商品のほか、各事業者の商品の輸出にもつながった。昔ながらの片刃包丁や刃の表面に模様を施した包丁が“日本らしい”と人気だという。



〜若手職人の地域への定着が課題〜

 体験教室や工場見学をきっかけに、「弟子入りしたい」との問い合わせも増加している。現在、工房で技を磨いている若手職人の中には、県外から来た人も多い。「共同工房にしたことで、閉鎖的なイメージが払拭され、若手が集まりやすくなった」と協同組合の八田正仁事務局長は分析する。
 一方で、若手職人が増えている今、後継者としての地域への定着が課題だという。刃物技術を身に付けるだけでなく、「地域の担い手として越前打刃物を守り継いでくれる後継者に育ってほしい」というのが親方職人たちの本音だ。
 「20代から70代まで、さまざまな年代の職人が切磋琢磨して技を磨いている。タケフブランドの商品をもっと多くの人に使ってもらえるように、一丸となっていい商品を生み出し、地場産業を守っていきたい」と、加茂代表理事は越前打刃物の未来を描く。


伝統工芸士の
加茂代表理事